歴史ロマンと文化

歴史・ロマン

 島原半島の有明海沿岸南部には特に多くの史跡が存在しており、数々の歴史ロマンが下地となって、引き継がれてきた文化には独特の風俗の香りが感じられます。

秦の始皇帝臣下『徐福』来航伝説

 秦の始皇帝は古代中国の統一後、臣下の『徐福』に不老長寿妙薬の発見・入手の命を与えました。このことは、中国正史「史記」に記述がり、日本各地にも『徐福』に関すると思われる伝説が残っている様です。

 特に、有明海沿岸地域には熊本県及び佐賀県には複数の伝説や関連史跡が存在していますが、同様の沿岸地域である長崎県島原半島には、『徐福』に関する伝説は確認されていません。不思議なことです。そこで、本ページの管理者である私は、勝手気儘な妄想を展開させてもらいました。

 徐福伝説

南蛮貿易と文化の開花

 戦国時代の終焉(織田信長による全国制覇進展-豊臣政権確立-江戸幕府体制)の原動力となった南蛮貿易は1543年の種子島鉄砲伝来に端を発しますが、南蛮貿易・文化の最盛期は、キリシタン大名・有馬晴信領地の島原半島南部との言説があります。

 南蛮貿易と文化

古戦場と島原の乱

 島原半島には薩摩・島津氏の九州覇権成立に大きく躍進した『沖田畷(オキタナワテ)』の戦いが1584年、島津氏・有馬氏連合軍VS龍造氏(福岡県・佐賀県支配勢力)があり、織田信長の「桶狭間の戦い」の様な戦いぶりで島津氏・有馬氏連合軍が完全勝利を収めました

 歴史的にはキリスト教信仰との関連が否定されている『島原の乱(最大の農民一揆)』が、島原半島領主「松倉氏」の圧政に抗して発生しました。制圧側幕府軍を含めた死者数は約4万人と言われた『日本最大の農民一揆』は悲惨な終末によって鎮圧され、江戸幕府体制による鎖国体制下、独自の日本文化熟成時代へと移行しました。

 半島の古戦場と島原の乱

島原半島に残る全国各地の文化・風俗

島原の乱(1637〜1638年)によって島原半島の南目(みなみめ)地方の住民はほぼ全滅し、その後の復興のために幕府の主導で全国各地(特に四国、九州各藩、近畿など)から大規模な集団移民(入植)が行われました。
このため、現在の島原弁(特に南島原市など)には、九州の他地域(長崎弁や佐賀弁など)とは異なる近畿や四国(旧讃岐国・阿波国など)の方言に由来する言葉やアクセントが今も点在して残っています。

 半島に残る全国の文化・風俗

コメント

タイトルとURLをコピーしました